新都社 文藝新都

第三話 いくさ



 本山梅慶が死亡したことは、長宗我部・本山両家の力関係に大きな影響を及ぼした。

 長宗我部国親は、梅慶死去の翌春には、早くも本山配下の武将に働きかけた。禄の加増を報酬にちらつかせ、長宗我部に味方するよう交渉を持ちかけたのである。さらに、個別に交渉を進めることで、武将間に疑心暗鬼が生じ、磐石であるかに思われた本山方の結束にも乱れが見え始めた。国親は、寝返り工作に応じた者は厚遇したが、そうでない者には軍事制裁を加えた。本山方の兵力は、すべてまとまれば長宗我部のそれを優に上回る。しかし、個々の支城に備わる兵力はさして多いものではなく、長宗我部方が一丸となって攻めかかれば勝敗はたちまちのうちに決した。
 国親は、いまだ体制を立て直せずにいる本山家に容赦なく襲いかかったのである。長宗我部氏の勢力範囲は、次第に平野部の西側に広がっていった。

 その頃の、ある戦場での一幕である。

 平野の中心部からやや北西の山の斜面に、秦泉寺(じんぜんじ)城という本山方の城があった。恭順の意向を示さぬというので、国親はこの城に攻撃を仕掛けた。一度は打って出たものの、数に勝る長宗我部軍に敗退を余儀なくされた秦泉寺軍は、最後の籠城戦に賭けていた。今は、その城攻めの最中である。

 国親は、槍の穂先にこべりついた血糊を半紙で拭き取った。五四歳。当時においては高齢と言える年齢だが、荒武者ぶりは健在で、戦場の第一線で槍を振るうことも少なくない。この日も、さきほどの野戦で一労働したばかりである。この城攻めでは戦闘に加わらず、後方で指揮を採っている。
 秦泉寺城はまもなく落ちようとしている。
 降伏の使者を寄越すなら、もうそろそろだな。
 国親は一息ついて、後ろに振り向き、二人の息子を交互に見やる。
 長男・弥三郎元親と、次男・左京進親貞である。
 国親は、いまだ初陣を果たさぬ二人の後学のために、戦場の現実を見学させているのである。
 家中では剛の者と評判高い親貞でさえ、青ざめている。いわんや、弥三郎をや、である。弥三郎は、顔面を蒼白にして肩を小刻みに震わし、額に脂汗を浮かべている。
 さすがに気の毒になって、少し休憩させようと国親は弥三郎に近づいた。が、弥三郎は、
「用を足しに」
 とだけ言い残して、山に駆け入ってしまった。国親はため息をもらす。
「兄上のお気持ちもわかります」
 戦場に立つためには、自分の命を危険に晒さなければならないのですから。人の命を奪うということは、自分の命も同様に、他人に奪われてもよいという契約に同意することなのですから。
 兄の弥三郎に同情の意を示す親貞にうなづきを返しつつも、いや、そうではない、と国親は思う。おそらく、そういうことではない。
もちろんそれもあるだろうが、それだけではない。国親は、弥三郎の気持ちも理解できるつもりだった。
 だが、と国親は思い直す。なにごとも、良い方に、良い方に考えがちであるのは、悪い癖だ。一族を率いる人間は、常に最悪の事態を想定しなければならない。そうでなければ、武家の棟梁はつとまるまい。弥三郎は、やはりこれでは、いくさ働きは期待できまい。戦場の指揮は、こなせまい。長宗我部家の棟梁は、つとまるまい。
 二人の息子は一九と一七になる。二人とも初陣は果たしていない。戦国時代の常識からしてみると、もう戦場に出てよい年頃である。いや、一七の親貞はともかく、弥三郎は、すでに少し遅いと言える。とくに、近い将来、一族を率いることになる弥三郎の初陣がまだであることは、家中の不安の種でもある。
 しかし実のところ、初陣の時期に関しては、国親はさして心配していない。国親自身、初めて戦場に出たのがもう三十も半ばのことである。もちろん今とは状況が違うので一概には言えない。だが、本山家との全面対決は避けられず、時間の問題となっている現状では、棟梁の嫡男が初陣を果たさぬままでは済まされない。国親は責任を感じるのだった。


 用を足すと言い残して逃げ出した弥三郎であるが、すぐに戻るつもりはなかった。動揺が静まるまで、じっと呼吸を整えるつもりである。
 しばらく森の中に潜んでいたが、気が落ち着いたので歩き始めた。元来た道をたどろうとするが、それらしきものが見当たらない。手探りで山の中を進んでゆくが、しかしどうしたことか、一向に前進しているような気がしない。同じところばかりをぐるぐると回っているような感じさえする。弥三郎は道に迷った。

 と、そこに急に視界がひらけた。

 森の中に、わずかばかりの空間があった。そこには松の切り株があって、猿に似た妖怪が腰掛けていた。少し間を空けて、座っている妖怪と比べると若い妖怪が、木立に背を預けて立っていた。
 二匹のシバテンであった。

「よお。また会ったな、ヤサブロ」
 片手を挙げて弥三郎を迎えるのは『中将』というあだ名の若いシバテンである。
「ふむ。顔色が悪いようじゃが、どうかしたのかえ」
 そう言って、心配そうに顔を覗き込むのは、『大臣』というあだ名の老いたシバテンである。
「うん、ちょっと」
 弥三郎は戦場を見学していることを伝えた。
「てめぇ、そのことだよ、おい」
 中将が突っかかる。
「どうして、いくさが増えてんだよ」
 その表情は険しい。
「俺はこの前、言ったよな。俺らが迷惑してるって。もう血を流すなって」
「それは、必要なことだからだよ」
「本当に必要なのか、おい。死ななくてもいい人間まで死なせてんじゃねぇだろうな」
 弥三郎にはわからない。
「だいたい、おめぇ、なよなよしいんだよ。そんなんだからいつまでたってもヒメワカってバカにされんだよ!」
「言ったな!」
 頭にきた。
「僕だって、やるときはやるさ! どうしても戦わなくちゃいけない時になったら戦うさ!」

「できるわけがねぇだろうが!」

 一喝。
「てめえは今! 現に! こうして、いくさ場から逃げ出して来てるじゃねぇか!」
 中将は声をさらに荒げる。
「男の腐ったようなのが、ビビってんじゃねぇよ!」
「ああそうだ、怖い! 僕は・・・・・・怖い。いくさが、怖い」
 中将の言いたいようにさせていた弥三郎が、叫んだ。

 今日、弥三郎は戦場を遠巻きに見学した。
 初めて戦場を目にしたその時、恐怖が襲いかかってきた。
 殺される恐怖である。
 人を殺す恐怖でもある。
 そして、ためらいなく人を殺す自分の姿が容易に想像できる恐怖である。
 決して夢見心地でぼんやり戦場を眺めているわけではない。現実感のない、空想の出来事のように捉えているわけでもない。確たる現実感を備えた身体感覚として、自分は他人を手にかけられるという恐怖である。
 弥三郎は友人を亡くしたことがある。
 まだ十に満たぬ、幼少の頃である。
 その時から既に城から抜け出す癖があったのだが、ある日、抜け出した先で同い年の少女と仲が良くなった。岡豊城の西に位置する小村である。その後もたびたび二人は遊んだ。今となっては分からないが、弥三郎はその少女に恋心を抱いていたのかもしれない。
 村は、領主と長宗我部の抗争に巻き込まれ蹂躙された。誰かが火矢を放ち、その火が燃え広がり村は全焼した。村の跡には、今は新しい村ができている。そこに彼女の姿はない。
 当時はまだ死が何であるか、全くわかっていなかった。かなりの年月を経たあとで、当時を思い返した時、焼け付くような後悔と焦燥が襲いかかってきた。
 利己的な動機から、自分は人間を殺せるのだと、この時はっきり自覚した。
 いくさは火矢に似ている、と弥三郎は思う。
 感情論である。
 一方が勝ち、一方が負ける。それで終わりではない。一方の兵士が勝者となり、一方の兵士が敗者となるだけではない。兵士以外に、必ず巻き込まれる人間が存在する。戦場にされる村の人々は暮らしを踏みにじられる。生き延びた者たちも、いくさを憎む人間ばかりではない。村を破壊した生身の人間を憎む人間が必ず存在する。いくさに巻き込まれる悲劇を思い知らせるには、憎む対象の人間をいくさに巻き込むことでしか果たせない。そうして男は戦場に行き、あらたに村を滅ぼす。
 際限はなかった。いくさは、終わらないのだ。一度火のついた憎しみは、とどまることなく燃え広がり続ける。この火は消せない。
 弥三郎は、自分がどうすればいいのかがわからない。
 姫若子と侮られ続ければ、それに甘んじて戦場に出ずにいられるかもしれない。人を殺さずにいられるかもしれない。
 いくさに加わる人間を殺したい。
 胸の内にくすぶる負の感情と向き合わずにいられるかもしれない。
 戦場に出れば、嬉々として人を殺す自分が容易に想像できる。
 自分を自分でなくする戦場というものが怖くて仕方がない。

「僕は他人よりガタイがいい。背が高いから、威圧すると相当の迫力がある。こんな僕が戦場に立ってごらん。どうしたって勝ってしまう。少なくとも、一対一の勝負では負けやしない。僕はこんな体はいらない。いくさ向きの、父親譲りの体格の良さなんか僕はいらなかった。こんな、戦場で槍を振り回して人を殺すのにおあつらえ向きの体なんか、欲しくもなかった。殺せるんだ。殺してしまうんだ、戦場に立てば。誰かが僕に槍を向けてきて、それを避けずにむざむざ死にたくなんかないから戦う。戦ったら、勝ってしまう。戦場で勝つということは人を殺すことだ。どうやったって勝ってしまう。どうやったって殺してしまう」
「はっ、よく言うぜ。どうやっても勝つ、だと?」
 強引に中将は、弥三郎に相撲の構えを取らせる。弥三郎の言葉を信じれば、相撲の勝敗に真剣になれないはずがない。
「一本勝負だ。泣きはなし」
 弥三郎は、勝負を譲る気はなかった。中将との相撲の対戦成績はこちらがはるかに勝ち越している。無論、油断はしない。ぐうの音も出ぬほど鮮やかな投げ技を決めるつもりだった。
 大臣が行司役をつとめ、両者が見合う。
 立合い始まった。
 と同時に、猛烈な速さで中将の指先が弥三郎の目に迫る。おもわず首を後ろに反らすと目と鼻の先で両の手のひらが叩き合わされる。
 弥三郎の体が宙を舞う。
 豪快に投げ技を決められた弥三郎は、地面に背中をしたたかに打つ。負けた。
「いくさなら、てめぇはしかばねだ」
 いきがってんじゃねぇよ。ガキが。
 これだから、いつまでたってもヒメワカだ。
 中将の吐き捨てた台詞が耳に残る。
 弥三郎は、瞼を開けぬまま涙を流した。


 弥三郎が森から抜け出たときには、秦泉寺軍はすでに降伏していた。秦泉寺城は落城したあとだった。