永禄三年(西暦一五六〇年)五月。
長宗我部家の命運を賭ける一戦が始まる。
「長浜の戦い」である。
弥三郎は二十二歳になっていた。
現状では、中央の平野部は、東側を長宗我部が、西側を本山が領有している。この西側の土地を手に入れたいのだが、本山方の拠点・朝倉城がにらみを利かせており、迂闊な攻撃は手痛い反撃を招く。田畑を作り、農作物を生産しやすい平野部を手に入れるため、国親は作戦を立てた。
朝倉城から南に下ったところに、長浜城という本山方の小城がある。国親は、まず長浜城を攻めることに決めた。
長宗我部の本拠地・岡豊城と、本山方の二つの支城を直線で結ぶと、三角形ができる。三角形の三つの頂点の内、二つは本山のものである。二つの頂点の内、いずれかを手に入れられれば、局地的には両家の力関係が逆転する。すなわち、残る一つの頂点、朝倉城に進攻する道のりが二方面に生じるのである。そうすると朝倉の本山軍は動きを牽制され、長宗我部方は行動が取りやすい。あとは兵力を固めて朝倉城を落とすだけで、平野部のすべてが手に入るのだ。
長浜城は守りが薄く、三百ほどの兵が詰めるのみである。城を落とすのは難しいことではない。
さらに、国親にとって都合の良い事件が起きる。
本山の兵が、浦戸湾を航行していた長宗我部方の輸送船を襲撃したのである。本山家は、部下が独断でやったことで他意はないと釈明したが、そんな言い訳を素直に聞き入れる国親ではない。本山攻めの口実を得た国親は、精鋭一千人を率いて岡豊城を出発した。
この軍勢には、弥三郎元親、左京進親貞の兄弟も含まれる。二人はまだ実戦を経験していない。戦闘に参加すれば、初陣を果たすことになる。
弟の親貞は、やや複雑な心境である。
父親に似て勇猛と評判の高い親貞であるが、二〇歳の今まで戦場を経験していない。二〇歳での初陣は遅く、親貞は不満である。その元凶が、兄の弥三郎元親である。嫡男よりも先に次男が初陣を果たしてはならない、という慣習が生きている中においては、兄が戦場に行かぬ限り、自分もまた戦場に行くことは叶わぬことだった。それともう一つ、兄がいまだに「姫若子」と陰口を叩かれているのが腹立たしい。
此度のいくさでは、兄上に、存分に活躍してもらわねば。
尻を叩くのは自分だぞ、と意志を固めて、親貞は馬を進ませる。
弥三郎の養育係兼武術師範の江村親家もまた、内なる決意を固めている。
相変わらず稽古がお嫌いで、武器の扱いに慣れていない弥三郎様の身に、万が一、万が一のことがあれば・・・・・・。その時は、いや、そうなる前に、この江村、命に代えても、お守りしてみせまするぞ。でありますから、若様、どうか、どうかご無事に、初陣を果たせられますよう・・・・・・。
江村は、神仏に祈るような気持ちである。
日暮れとともに出陣した一団は先頭のかがり火一つを目印に、闇夜に紛れて行軍した。
やがて、浦戸湾の東岸に到着した。海を隔てて、長浜の地を対岸に臨む場所である。船に乗り込むと、にわかに雨が降り出した。雨が進軍の音をかき消す。本山方に気づかれることなく、敵地への侵入に成功した。
風雨に紛れて夜襲をかけた長宗我部軍は、ほとんど無傷で長浜城を落城せしめた。不意打を突かれた本山兵はあわてふためき、雲の子を散らすように逃げていった。
その夜。
奇襲の成功に浮かれる兵たちの目を避けて、一人、長浜城を抜け出した将がいた。
弥三郎元親である。
と言っても今回は、さすがに逃亡を企てているわけではない。
長浜城は山の上に築造された山城である。同じ丘陵の南斜面に、若宮八幡宮という寂れた社がある。戦勝祈願に参るのだ。加えて、自身の加護を祈るために。
城攻めには参加していなかった。しかし初陣は目前に控えている。本山方の後詰の部隊が、長浜城の奪還に駆けつけることが予想されるからだ。その合戦が、初陣となるはずである。
弥三郎は、あまり信心深いほうではない。が、全てを理屈で割り切れるとも考えていない。この時も、ひとつ神仏に願をかけてみようと無意識のうちに思うところがあったのか、足の向くままに参詣したのである。
神前に一礼すると、弥三郎は夜空を振り仰いだ。さきほどの城攻めで勝利をもたらした雨雲が厚く垂れこめており、星の明かりはところどころに数える程しかない。
手頃な石に腰掛け、腰の刀を地べたに下ろす。
やはり、薄着で出てきてよかった。
南国土佐では、五月も中旬となればもはや初夏の時候である。夜はまだ少し肌寒さを感じることもあるが、この夜は雨が降った後で湿度が高い。散歩には、麻の着物一枚でも充分だった。
上体を後ろに反らし、大きく伸びをする。気分が晴れると、弥三郎は長浜城に戻ることにした。戦いは近い。早く寝て、英気を養わねばならない。
山道を歩いていると、八幡宮に刀を置き忘れたのに気がついた。腰元がどうも落ち着かずにいたのはこのためであったかと不覚を恥じ、来た道を戻り、神社の境内に足を踏み入れた。
「久しぶりじゃな、弥三郎」
猿に似た、頭に皿を乗せた妖怪――シバテン。
大臣が、弥三郎の座った石の上に腰掛けていた。
明け方。
国親は、独自に派遣していた斥候の報告に、内心、衝撃を受けた。
長浜落城の報を受け、本山家当主・本山茂辰(しげとき)がみずから先頭に立ち、二五〇〇の兵を率いて朝倉城を出発し、夜通し駆けて、さほど離れていない場所に着陣しているというのである。
敵の後続部隊の出撃は予想していた。むしろ、それを望んでさえいた。
だが計算が外れた。
本山の軍勢が多すぎる。
こちらの兵力は一〇〇〇である。
――まずいことになった。
国親は、小さく舌打ちをした。
本山家への復讐、ただそれだけを胸に国親は生きてきた。
国親の父、兼序(かねつぐ)は、本山梅慶の謀略にかかり、無念の自害を遂げたのである。城を奪われ、領地を追われ、全てを失った当時六歳の国親は、逆境に挫けることなく、方々に頭を下げてまわり、地のにじむような苦労の末に岡豊の城を取り戻した。逆境に耐えられたのは仇討ちの覚悟があればこそである。なんとしてでも父の墓前に本山当主の首を供えねばならぬ。
しかし梅慶が死んでからというもの、思い返せば少々焦り気味に事を進めてきたような気もする。憎き梅慶も歳には勝てなかった。自分は今年、五十七である。人間五十年と言われるこの時代においては、もはやいつ死んでも不思議ではない高齢である。残された時間は少ない。その焦りが、あるいは国親の冷静さを狂わせたのかもしれない。
だが、勝算低しといえども、ここで退却するつもりはなかった。いや、長宗我部軍は退却できないのである。
軍は、浦戸湾を船で渡って本山の領土に侵入した。つまり、戻る手段も船である。乗船に手間取れば、追いつかれ、背後から攻撃を受けることになり、少なくない被害をこうむることが予想される。
さらにここは敵地であり、救援を呼べるような状況ではない。周りは敵だらけである。
よしんば無事に逃げ帰れたとしても、長宗我部の名声は確実に損なわれる。戦国に生きる人間は、侮られてはおしまいである。なびき始めた諸勢力からも見放されれば、国親が築き上げてきた今日の繁栄も、元の木阿弥である。それだけは避けねばならない。同様の理由で降伏も論外である。
そしてもう一つ。
次期当当主、嫡男・弥三郎元親の負担を、少しでも軽くしなければならぬ。父や、自分のような苦労を、次の世代に繰り返させてはならぬ。
戦うほか、ない。
さらに、「舐められたら、それまで」というのは、本山方にも同じく当てはまる。
梅慶死去から勢力縮小の一途をたどる本山家の現当主・茂辰(しげとき)は、これ以上、長宗我部に負け続けるわけにはいかなかった。家臣の団結はほころび始めている。梅慶の治世を懐古して、凋落を嘆く者もいる。家中だけではない。配下の豪族にも、本山を見限り、寝返る者は少なくない。負の連鎖をここで断ち切らねばならぬ。本山家は、土佐に古くから根付く名門である。名門の意地を見せなければならない。もともと国力、兵力ともに本山家が上回っているのだ。分散した兵力をまとめれば、敵を優に上回る軍勢が出来上がる。茂辰はこれに賭けた。
両家の当主が同じ戦場にあいまみえる、一世一代の直接対決にて雌雄を決さんと、乾坤一擲の勝負に出たのであった。
国親は、本山家の事情、当主・茂辰の置かれる立場もよく理解出来るだけに、分の悪さを痛感するのである。
しかし、と、国親はため息混じりに家臣を見回す。
困ったことに、国親の部下は、自軍の勝利を信じて疑わないのである。
国親への深い信頼と心服に由来する厚い信望であった。あるじの苦悶を知ってか知らずか、部下たちは陽気なものである。
国親は腹をくくった。
戦うしかないのであれば、勝つまでである。
このようなかたちで初陣を迎えねばならない二人の息子が不憫だが、やむを得まい。
このまま城山に篭っていたのでは、数に勝る本山軍に包囲されかねない。少しでも優位に立てる地形を選び、野戦にて敵を打ち破る。移動には、あまり残された時間はない。すぐにでも出発する必要がある。
「打って出る。出陣の支度をせよ」
当主の一声で場が沸き返る。
これが事実上の最終決戦だ。
改めてそう思うと国親は武者震いをした。
――が。
「ち、父上っ! 大変でございます!」
まもなく城を発つという段階になって、次男の左京進親貞が、国親のもとに慌てて飛んできた。周囲をはばかるように耳打ちを受けた国親は目を剥いた。
弥三郎が、城内のどこにもいない。
「しばらく見ぬ間に大きくなったかのう、弥三郎」
そう言って、老いたシバテンは弥三郎に微笑みかける。
「俺はもともと大きいよ」
弥三郎も笑みを返す。
「今日は中将と一緒じゃないのか」
「さよう。血の匂いがきつくて適わんと言うてのう。ことにこの頃は、いくさも多いじゃろう。我慢できずに、あやつは山奥に移っていったようじゃ」
大臣は少し寂しそうにうつむく。
「そうだったか。・・・・・・大臣は、いいのか。ここにいて」
「そろそろ行かねばならぬかとも思うが、もうわしも歳じゃしのう。長いこと生活をしてきた、ここに骨を埋めるのも悪くないとも思うてのう」
「君たちは、一つの場所にとどまるような暮らしはしていないだろ」
「ほほ、そうじゃったかもしれぬなあ」
シバテンは、かっかと笑う。
「ああ。そうさ」
弥三郎は夜空を仰ぐ。
「俺たちのせいだ」
風が、ゆるやかに吹き始める。
「もとはといえば、長宗我部が始めた戦争だ。少なくとも、ここ何十年分かは、な」
風に流され、垂れこめる暗雲のすき間から、初夏の星空が現れ始める。
「終わらせられるのは、始めた人間だ」
弥三郎は、月の光を身にまとい。
「今日、俺は死ぬ」
振り返りざまに、言った。
長宗我部家の命運を賭ける一戦が始まる。
「長浜の戦い」である。
弥三郎は二十二歳になっていた。
現状では、中央の平野部は、東側を長宗我部が、西側を本山が領有している。この西側の土地を手に入れたいのだが、本山方の拠点・朝倉城がにらみを利かせており、迂闊な攻撃は手痛い反撃を招く。田畑を作り、農作物を生産しやすい平野部を手に入れるため、国親は作戦を立てた。
朝倉城から南に下ったところに、長浜城という本山方の小城がある。国親は、まず長浜城を攻めることに決めた。
長宗我部の本拠地・岡豊城と、本山方の二つの支城を直線で結ぶと、三角形ができる。三角形の三つの頂点の内、二つは本山のものである。二つの頂点の内、いずれかを手に入れられれば、局地的には両家の力関係が逆転する。すなわち、残る一つの頂点、朝倉城に進攻する道のりが二方面に生じるのである。そうすると朝倉の本山軍は動きを牽制され、長宗我部方は行動が取りやすい。あとは兵力を固めて朝倉城を落とすだけで、平野部のすべてが手に入るのだ。
長浜城は守りが薄く、三百ほどの兵が詰めるのみである。城を落とすのは難しいことではない。
さらに、国親にとって都合の良い事件が起きる。
本山の兵が、浦戸湾を航行していた長宗我部方の輸送船を襲撃したのである。本山家は、部下が独断でやったことで他意はないと釈明したが、そんな言い訳を素直に聞き入れる国親ではない。本山攻めの口実を得た国親は、精鋭一千人を率いて岡豊城を出発した。
この軍勢には、弥三郎元親、左京進親貞の兄弟も含まれる。二人はまだ実戦を経験していない。戦闘に参加すれば、初陣を果たすことになる。
弟の親貞は、やや複雑な心境である。
父親に似て勇猛と評判の高い親貞であるが、二〇歳の今まで戦場を経験していない。二〇歳での初陣は遅く、親貞は不満である。その元凶が、兄の弥三郎元親である。嫡男よりも先に次男が初陣を果たしてはならない、という慣習が生きている中においては、兄が戦場に行かぬ限り、自分もまた戦場に行くことは叶わぬことだった。それともう一つ、兄がいまだに「姫若子」と陰口を叩かれているのが腹立たしい。
此度のいくさでは、兄上に、存分に活躍してもらわねば。
尻を叩くのは自分だぞ、と意志を固めて、親貞は馬を進ませる。
弥三郎の養育係兼武術師範の江村親家もまた、内なる決意を固めている。
相変わらず稽古がお嫌いで、武器の扱いに慣れていない弥三郎様の身に、万が一、万が一のことがあれば・・・・・・。その時は、いや、そうなる前に、この江村、命に代えても、お守りしてみせまするぞ。でありますから、若様、どうか、どうかご無事に、初陣を果たせられますよう・・・・・・。
江村は、神仏に祈るような気持ちである。
日暮れとともに出陣した一団は先頭のかがり火一つを目印に、闇夜に紛れて行軍した。
やがて、浦戸湾の東岸に到着した。海を隔てて、長浜の地を対岸に臨む場所である。船に乗り込むと、にわかに雨が降り出した。雨が進軍の音をかき消す。本山方に気づかれることなく、敵地への侵入に成功した。
風雨に紛れて夜襲をかけた長宗我部軍は、ほとんど無傷で長浜城を落城せしめた。不意打を突かれた本山兵はあわてふためき、雲の子を散らすように逃げていった。
その夜。
奇襲の成功に浮かれる兵たちの目を避けて、一人、長浜城を抜け出した将がいた。
弥三郎元親である。
と言っても今回は、さすがに逃亡を企てているわけではない。
長浜城は山の上に築造された山城である。同じ丘陵の南斜面に、若宮八幡宮という寂れた社がある。戦勝祈願に参るのだ。加えて、自身の加護を祈るために。
城攻めには参加していなかった。しかし初陣は目前に控えている。本山方の後詰の部隊が、長浜城の奪還に駆けつけることが予想されるからだ。その合戦が、初陣となるはずである。
弥三郎は、あまり信心深いほうではない。が、全てを理屈で割り切れるとも考えていない。この時も、ひとつ神仏に願をかけてみようと無意識のうちに思うところがあったのか、足の向くままに参詣したのである。
神前に一礼すると、弥三郎は夜空を振り仰いだ。さきほどの城攻めで勝利をもたらした雨雲が厚く垂れこめており、星の明かりはところどころに数える程しかない。
手頃な石に腰掛け、腰の刀を地べたに下ろす。
やはり、薄着で出てきてよかった。
南国土佐では、五月も中旬となればもはや初夏の時候である。夜はまだ少し肌寒さを感じることもあるが、この夜は雨が降った後で湿度が高い。散歩には、麻の着物一枚でも充分だった。
上体を後ろに反らし、大きく伸びをする。気分が晴れると、弥三郎は長浜城に戻ることにした。戦いは近い。早く寝て、英気を養わねばならない。
山道を歩いていると、八幡宮に刀を置き忘れたのに気がついた。腰元がどうも落ち着かずにいたのはこのためであったかと不覚を恥じ、来た道を戻り、神社の境内に足を踏み入れた。
「久しぶりじゃな、弥三郎」
猿に似た、頭に皿を乗せた妖怪――シバテン。
大臣が、弥三郎の座った石の上に腰掛けていた。
明け方。
国親は、独自に派遣していた斥候の報告に、内心、衝撃を受けた。
長浜落城の報を受け、本山家当主・本山茂辰(しげとき)がみずから先頭に立ち、二五〇〇の兵を率いて朝倉城を出発し、夜通し駆けて、さほど離れていない場所に着陣しているというのである。
敵の後続部隊の出撃は予想していた。むしろ、それを望んでさえいた。
だが計算が外れた。
本山の軍勢が多すぎる。
こちらの兵力は一〇〇〇である。
――まずいことになった。
国親は、小さく舌打ちをした。
本山家への復讐、ただそれだけを胸に国親は生きてきた。
国親の父、兼序(かねつぐ)は、本山梅慶の謀略にかかり、無念の自害を遂げたのである。城を奪われ、領地を追われ、全てを失った当時六歳の国親は、逆境に挫けることなく、方々に頭を下げてまわり、地のにじむような苦労の末に岡豊の城を取り戻した。逆境に耐えられたのは仇討ちの覚悟があればこそである。なんとしてでも父の墓前に本山当主の首を供えねばならぬ。
しかし梅慶が死んでからというもの、思い返せば少々焦り気味に事を進めてきたような気もする。憎き梅慶も歳には勝てなかった。自分は今年、五十七である。人間五十年と言われるこの時代においては、もはやいつ死んでも不思議ではない高齢である。残された時間は少ない。その焦りが、あるいは国親の冷静さを狂わせたのかもしれない。
だが、勝算低しといえども、ここで退却するつもりはなかった。いや、長宗我部軍は退却できないのである。
軍は、浦戸湾を船で渡って本山の領土に侵入した。つまり、戻る手段も船である。乗船に手間取れば、追いつかれ、背後から攻撃を受けることになり、少なくない被害をこうむることが予想される。
さらにここは敵地であり、救援を呼べるような状況ではない。周りは敵だらけである。
よしんば無事に逃げ帰れたとしても、長宗我部の名声は確実に損なわれる。戦国に生きる人間は、侮られてはおしまいである。なびき始めた諸勢力からも見放されれば、国親が築き上げてきた今日の繁栄も、元の木阿弥である。それだけは避けねばならない。同様の理由で降伏も論外である。
そしてもう一つ。
次期当当主、嫡男・弥三郎元親の負担を、少しでも軽くしなければならぬ。父や、自分のような苦労を、次の世代に繰り返させてはならぬ。
戦うほか、ない。
さらに、「舐められたら、それまで」というのは、本山方にも同じく当てはまる。
梅慶死去から勢力縮小の一途をたどる本山家の現当主・茂辰(しげとき)は、これ以上、長宗我部に負け続けるわけにはいかなかった。家臣の団結はほころび始めている。梅慶の治世を懐古して、凋落を嘆く者もいる。家中だけではない。配下の豪族にも、本山を見限り、寝返る者は少なくない。負の連鎖をここで断ち切らねばならぬ。本山家は、土佐に古くから根付く名門である。名門の意地を見せなければならない。もともと国力、兵力ともに本山家が上回っているのだ。分散した兵力をまとめれば、敵を優に上回る軍勢が出来上がる。茂辰はこれに賭けた。
両家の当主が同じ戦場にあいまみえる、一世一代の直接対決にて雌雄を決さんと、乾坤一擲の勝負に出たのであった。
国親は、本山家の事情、当主・茂辰の置かれる立場もよく理解出来るだけに、分の悪さを痛感するのである。
しかし、と、国親はため息混じりに家臣を見回す。
困ったことに、国親の部下は、自軍の勝利を信じて疑わないのである。
国親への深い信頼と心服に由来する厚い信望であった。あるじの苦悶を知ってか知らずか、部下たちは陽気なものである。
国親は腹をくくった。
戦うしかないのであれば、勝つまでである。
このようなかたちで初陣を迎えねばならない二人の息子が不憫だが、やむを得まい。
このまま城山に篭っていたのでは、数に勝る本山軍に包囲されかねない。少しでも優位に立てる地形を選び、野戦にて敵を打ち破る。移動には、あまり残された時間はない。すぐにでも出発する必要がある。
「打って出る。出陣の支度をせよ」
当主の一声で場が沸き返る。
これが事実上の最終決戦だ。
改めてそう思うと国親は武者震いをした。
――が。
「ち、父上っ! 大変でございます!」
まもなく城を発つという段階になって、次男の左京進親貞が、国親のもとに慌てて飛んできた。周囲をはばかるように耳打ちを受けた国親は目を剥いた。
弥三郎が、城内のどこにもいない。
「しばらく見ぬ間に大きくなったかのう、弥三郎」
そう言って、老いたシバテンは弥三郎に微笑みかける。
「俺はもともと大きいよ」
弥三郎も笑みを返す。
「今日は中将と一緒じゃないのか」
「さよう。血の匂いがきつくて適わんと言うてのう。ことにこの頃は、いくさも多いじゃろう。我慢できずに、あやつは山奥に移っていったようじゃ」
大臣は少し寂しそうにうつむく。
「そうだったか。・・・・・・大臣は、いいのか。ここにいて」
「そろそろ行かねばならぬかとも思うが、もうわしも歳じゃしのう。長いこと生活をしてきた、ここに骨を埋めるのも悪くないとも思うてのう」
「君たちは、一つの場所にとどまるような暮らしはしていないだろ」
「ほほ、そうじゃったかもしれぬなあ」
シバテンは、かっかと笑う。
「ああ。そうさ」
弥三郎は夜空を仰ぐ。
「俺たちのせいだ」
風が、ゆるやかに吹き始める。
「もとはといえば、長宗我部が始めた戦争だ。少なくとも、ここ何十年分かは、な」
風に流され、垂れこめる暗雲のすき間から、初夏の星空が現れ始める。
「終わらせられるのは、始めた人間だ」
弥三郎は、月の光を身にまとい。
「今日、俺は死ぬ」
振り返りざまに、言った。