新都社 文藝新都

第一話




 小さな寺社の境内に、朝の清らかな陽光が差し込んだ。寒さに背をかがめて、掃き掃除をしていた住職が手を休め、山の向こうから顔を出したお天道様に手を合わせる。合掌した手にかかる息が白い。煤けてこぢんまりとした本堂は、朝日を浴びて嬉しそうに屋根の瓦を黒々と光らせている。田舎の街の夜明けである。市井に生きる一般の人々は活動を開始した。
 そして市井に生きる一般の人々と同じく、しかし人知れず活動を開始した人間がいた。
 寺の本堂の裏手には、住み込みで勤行する住職以下の居住空間があるが、その一角に、廃屋同然の納屋がある。納屋の中には、本や服やガラクタの類がうずたかく積み上げられている。ひときわ大きな山がむずむずとうごめき、局地的に大規模な雪崩が発生する。赤い半纏がガレキの下から姿をあらわし、続けてぼさぼさの黒髪が、くず糸と綿ぼこりの装飾をほどこして、ぬっと持ち上がる。ちり捨て場の日本人形の髪の方が、これよりもはるかに手入れが行き届いている。やまんばのような乱れ髪の下には、寝起きで機嫌の悪い目玉とまぶたが、明かり窓から差し込む朝の光を迷惑そうに睨みつける。
 寺村てる子、二十歳の無職の目覚めである。
 しばらくそのまま、置物にでもなったかのようにほうけていたが、鼻の穴からふた筋のしずくが、つつーっと肌をつたってくる。ちり紙を探すが見当たらなかったのか、ずびびびび、と鼻汁をすする。間を置かず再び、つつーっ。ずびびびび。次にもう一度たれてきた時には、既にてる子は潰れたティッシュ箱を右手に掴んでいた。用済みのちり紙を丸めて半纏のポケットに突っ込むと、のそのそと立ち上がってふらふらと怪しげな二足歩行を開始した。納屋の戸を開放すると、初冬の朝の冷たい風が吹き込んでくる。ぶるるるる、と器用にこまかく全身を振動させ、てる子は足早に洗面所へと向かう。夜通し納屋の外で締め出しを食っていたつっかけの冷たさに、またもや鼻水が流れ出す。半纏のポケットから、一度使ったちり紙を取り出して急場をしのぐ。
 洗面所に向かう足を早めたそのとき、突然てる子の足が止まった。街の方角に首を向け、じっと耳を澄ますように、あるいは遠くを見つめるように、もしくは自分の姿が目立たぬように、息を詰めて、からだじゅうの神経をたかぶらせた。眉間に皺を寄せたまま十秒が経過し、二十秒が経過した。三十秒が経過したとき、険しい表情をしていたてる子の緊張が不意にほどけた。ぼさぼさ頭をぼりぼり掻き回し、大きく両腕をぐるぐる回し、そしてぽつりとつぶやいた。
 「今日は外に出てみるかな」
 力強く、自分の言葉にうなづく拍子に、鼻から飛沫がほとばしった。