新都社 文藝新都

あとがき



 初めて小説を書きました。というと嘘になりますが、ある程度、満足のいく仕上がりになった小説をかけたのは初めてです。と、言いますか、まともに一本の小説を完成させたのは今回が初めてです。それが五本も! なんと五本も! 完成したのですから、我ながらこれは素晴らしい。やればできるものなんですね。人間ってすごい。

   「鬼」

 もともとは読み切りとして、これだけ書いてトンズラかこうと思っていました。
 実際に見た夢が元ネタです。忘れもしません。あれは、今月の始め、二日ごろのこと(早くも忘れてる)。自分の叫び声で目が覚めて、見ると、滝のように寝汗をかいていました。このとき見ていた夢こそが、「鬼」の原型になりました。いや違います。「鬼」は、夢の改悪版です。ぶっちゃけ夢のほうが不気味でどろどろしてておどろおどろしい雰囲気で、面白かったです(うなされながら)。あまりにヘンな夢だったものですから、めずらしく詳細を記録に残していますので(そのくせ日付は記録してない)、その気になれば、もっかい書いてもいいな、と思う話であります。
 しかし、とっても気になることが一つ。わかる人はわかったと思いますが、じじいの話、なんだかどこかで読んだことがありませんか。そう、芥川龍之介の「地獄編」に、よく似た話だと言えなくもないのです(改悪すぎて全然似てないかもしれない)。意図的にパクったわけではないのですが、書き上げて読み返して気づいてへこみました。気づけよと。
 ともあれ、ここから私の新都社づとめは始まりました。

   「半鬼」

 これは小説ではない。あらすじである。と言われればうなづくしかない。が、これでもわりと悩みましたのよ。アイデア自体はまあまあだとは思いましたが、これを広げてまとめられるか疑問でした。ですので、だらだらと引き伸ばすよりは、スパッと切って余韻を残す方を選びました。これでは読者に丸投げである。と言われればうなづくしかない。
 四百字詰め原稿用紙一枚分相当の掌編。

   「鬼退治」

 かなりの難産でした。でも、長いから(「鬼」の約四倍)読んでもらえないのだろう。
 少し前に読んだ、中島道義の「カイン」に多分に影響されています。無理やり短く収めようとした結果、じじいの説教に無理がある。オチも予想できるので意外性には欠ける。いや、べつにオチはなくてもいいのですが、以降二作、ヘンに「半鬼」の流れを汲んでしまっています。反省点の多い一話。

   「鬼ごっこ」

 前作が仕上がった直後に書きました。「鬼退治」が、ちょっとイヤラシイ話でしたので、口直しの小皿を一品、という感じでしょうか。あっさり、を目指していたはずですが、読んでみると甘ったるくて気持ち悪い。これはやばい。この手の話は、読む分には別にいいんですけど、書くぶんには難しい。

   「オニヤンマ」

 「鬼」縛り、で短編を書くのに限界を感じてきましたので、この話で切り上げます(というか、誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に「鬼」縛りを自分に課したわけだなあ いぬま)。もう鬼、関係ねえ。
 きわめて普通の青春小説になってしまった。毒もなければ薬味もない。くだらぬ。

 書くことには浄化作用があるようですね。ドロドロと溜まった、鬱屈した、言葉にならない、しこりのような、あえぎのような、呻きのような負のエネルギーを、書く事で、紙の上にそぎ落とす。つまりは老廃物ということです(だから、あとに行くほどキレイな話になっているのか)。体に溜まった老廃物を外に出す、これは実に気持ちがいい。漫画もおなじことなのでしょうね。ですからみなさん、描く、と。いいですね。実にいい。みなさん、うんこしましょう。私もします。うんこ。

 次回があるかはわかりません。ですが、今後書かないとしても、私は新都社の一読者であり続けようと思います。
 最後に。ぷげら三周年記念四コマ大喜利大会に、四コマ漫画をいくつか出陣させるつもりです。
 では、また。さらば。

 2013.11.17.02:48 深夜のテンションで