新都社 文藝新都




 青年が一人、屋根付きのバス停でぼんやり座っていると隣に腰を下ろす影があった。小雨のそぼ降る黄昏時である。横目でうかがうと遍路道中の老人のようである。編笠を目深にかぶり、皺だらけの口元を横一文字に引き結んでいる。この近辺で遍路の姿は珍しくない。軽く会釈をしてみたものの、声を掛けたかためらう内に会話の機会をつかみそこねた。雨だれがトタン屋根を叩くのを聴いていると、老人がうなる。こもった声だが、腹の虫がうなるのか。青年は、幸か不幸か、手提げ鞄にみかんが二三個入っているのを思い出した。それを差し出すと、老人はもごもごと口を動かし、時間をかけて平らげた。おおきに。老人は、もごもごと礼を述べて合掌した。老人は、笠をかぶり直して正面に向き直ると、みかんの皮をもてあそびながら、ぽつりぽつりとひとりでに語り始めた。まだバスは来ない。青年は老人のひとり語りに付き合った。話は断片的で要領を得なかったが、かいつまむと以下のようであった。

 昔のことである。このあたりに優れた仏師が住んでいた。名を長次郎という。この男は、木材であれば、仏像に限らず、鳥や草花、虫や獣まで、およそありとあらゆるものを彫り上げる我流の彫刻家であった。あるとき都の貴族が評判を聞きつけ、帝の御前にて芸を披露せよとの触れが下った。長次郎はひとの頼みを断れぬ男であった。やがて上洛し、住居と作業場を与えられ、彫刻にいそしむ日々が始まった。長次郎は帝が命じたものをたちどころに彫り上げた。桜が見たいと言われれば、材木のひとかけらから、満開の桜を一輪つけた小振りの枝を彫刻し、鶴が見たいと言われれば、いくつかの木を彫りだして、さらにそれらを組み合わせ、飛び立つ鶴の羽ばたきを木像の躍動に昇華してみせたのだった。帝やまわりの貴族たちは大いに喜び、長次郎に多くの褒美を与えた。そのうち次の課題が与えられる。こうしたことが繰り返され、そのたびに次郎は期待にこたえ続けた。課題の難度は増してゆく。それでも長次郎は見る者の心を奪う彫刻を次々と生み出した。もはや彼に彫れぬものは存在せぬように思われた。しかしそうではなかった。彼にも彫れぬものがあったのだ。ある日、帝はいつものように次郎に話しかけた。鬼を彫れ。朕は鬼をまだ見ぬ。そなたが彫りて朕に示せ。この命令を長次郎は拒んだ。鬼は彫れませぬ。それきり態度を変えなかった。帝は激怒した。美しいものは作れるが、禍々しきは作れぬと申すか。それともなにか、蝶や花らの見て触れられるものは作れるが、見て触れられぬもののけの類は作れぬと、そう言いたいのか、お主めは。ならばよかろう、鬼に逢うてくればよい。丑寅の山には鬼が住まうと聞いておる。かの地に出向き、とり喰われずに生きて帰れば鬼の彫刻も仕上がろう。かくして長次郎は鬼の住む山に向かわされた。彼は、山寺に一人で篭ることを命じられた。鬼の寝床と人に聞く、荒れた無人の寺である。一晩泊まれば骨も残らぬ。そう囁かれるあばら屋であった。長次郎は、着の身着のままでおもむいた。ただ一つ、愛用の彫刻刀を携帯したのみである。長次郎は御堂にこもり、一夜を過ごした。翌朝、都の衛士たちが寺に押し入ると、御堂はもぬけの殻であった。やはりあの男も鬼に喰われたのかと哀れんでいると、衛士の一人があるものに気がついた。御堂のなかほどに、なにやら小さな木像のようなものが転がっている。見当たるものはそれだけである。衛士たちは、これが長次郎の最後の作品であろうと直感した。しかし、妙である。見れば、たしかに木像のようである。明らかに自然の造物ではなく、人が手を加えた彫刻である。だが一体、何を彫ったのか、衛士たちにはわからなかった。仏、ではない。人ではない。鳥でもなく、草花でもなく、虫でも、獣でもない。雲の流れや海の荒波をあらわすようにも見えない。見覚えのないものである。帰って学者に見せればあるいは判明するやもしれぬと思い、彼らは帰途を急いだ。さて持ち帰ったが、誰も木像の正体がわからなかった。ただ、血の気の引いた青ざめた顔でそれを凝視する者が一人いるだけであった。
 
 そこで話は唐突に途切れた。小雨の停留所に、定時のバスが来たのである。老人に不気味なものを感じ始めていた青年は、あたふたとバスに飛び込んだのであった。冷たい椅子に身を沈め、青年は車外に視線を向ける。車窓はすでに暗闇である。額に手をやると、脂汗がぬめりとした。気分がすぐれない。怪談めいて気味が悪く感じた老人の話も、終いまで聞かずに終わってしまっては、かえって胸のおさまりが悪いのであった。青年は鞄をだきかかえ、わずかな心残りを感じながら目を伏せた。車に揺られて体は椅子に沈み込み、青年はまどろみに身を任せた。雨は止まずに降り続ける。無人の停留所には、みかんの皮が干からびている。霜月のはじめの頃の話である。