新都社 文藝新都

第〇話 初陣(ういじん)



 永禄三年(西暦一五六〇年)五月一九日、尾張の小大名・織田信長は、東海の覇者・今川義元の陣営を強襲しその首級を挙げた。

後の世に言う「桶狭間の戦い」である。

 この日を境に、かつて「うつけ」とそしられた織田信長が全国統一への道程を驀進してゆくことは、周知の通りである。


 同年五月二八日。


 「桶狭間」から八日後のことである。


 尾張から遠く離れた辺境の地で、信長と時をほぼ同じくして、天下の争覇に敢然と名乗りを挙げた男がいる。


 日本の四国の南側、太平洋を臨む土佐の国(現在の高知県)の中心部、長浜は戸ノ本(とのもと)、その西側、小高い山の斜面から、眼下の死闘を静かに見つめる一人の騎馬武者の影がある。鎧兜を身につけず、麻の着物をさらりと着流し、右手に素槍をたずさえて、きっ、と前を見据えている。身の丈六尺(約一八〇センチ)を超える偉丈夫である。しかし、風に乱れる長髪をかき上げる裾から覗く横顔は、血潮飛び散る戦場に立つ武者に、およそ似つかわしくないほど白く、そして美しい。白磁のごとく透き通る手弱女のように見目麗しい美貌の若武者は、服のたもとからひとすじの緋色の紐糸をすっと取り出し、流れる黒髪を手際よく総髪に結い上げると、股下の軍馬に蹴りを入れ、白刃きらめく戦乱の舞台に駆り出した。


 男の名を長宗我部弥三郎元親(ちょうそかべ・やさぶろう・もとちか)という。


 後に四国百万石を手中に収める、人の姿を借る一匹の鬼が、野に放たれた瞬間であった。